20世紀日本人名事典 「白木義一郎」の解説 白木 義一郎シラキ ギイチロウ 昭和期のプロ野球選手 元・参院議員(公明党)。 生年大正8(1919)年9月20日 没年平成16(2004)年1月25日 出生地東京・京橋 学歴〔年〕慶応義塾高等部〔昭和16年〕卒 主な受賞名〔年〕勲一等旭日大綬章〔平成1年〕 経歴昭和12年春夏連続で甲子園に出場。20年プロ野球のセネターズ(のち東急フライヤーズ)に入団、21年30勝22敗で最多勝を、22年には防御率1.74で防御率1位を獲得。27年阪急に転じるが、同年退団。退団後創価学会に入り、31年参院議員に当選。以来通算5期。39年公明党結党に参画し、副委員長を務めるなど同党創成期の基盤を築いた。運輸、建設、外務、法務各委員、災害対策特別委員長、懲罰委員長等を歴任。61年引退。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「白木義一郎」の解説 白木義一郎 しらき-ぎいちろう 1919-2004 昭和時代後期の野球選手,政治家。大正8年9月20日生まれ。プロ野球セネタースに入団。昭和21年30勝をあげ最多勝利投手となる。大阪で創価学会の折伏(しゃくぶく)活動を指揮し,31年参議院議員(当選5回,公明党)。42年党副委員長。平成16年1月25日死去。84歳。東京出身。慶大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by