20世紀日本人名事典 「白石葭江」の解説 白石 葭江シライシ ヨシエ 明治期の海軍少佐 生年明治6年12月20日(1873年) 没年明治37(1904)年 出生地東京 学歴〔年〕海軍兵学校卒 経歴海軍兵学校を卒業後、日清戦争に従軍し、威海衛襲撃作戦で活躍。次いで北清事変では軍艦「笠置」の陸戦隊を率いて大沽砲台を攻略するなど、数々の戦功を立てた。しかし、熱血漢であるために誤って部下を殴殺し、重禁固2年の刑に処されたこともある。明治37年日露戦争に際し、海軍少佐として旅順閉港作戦に参加。その第三次作戦で戦死したと伝えられたが、実際は捕虜となったのち、同年の末に獄中で病死したという。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「白石葭江」の解説 白石葭江 没年:明治37.5.3(1904) 生年:明治6.12.30(1873) 明治期の海軍軍人。東京生まれ,神官白石豊の養子。日清戦争(1894)の威海衛襲撃に戦功を立て,義和団事件(1900)では「笠置」の陸戦隊を率いて大沽砲台攻略に勇名を馳せる。熱血漢で部下の殴殺事件を起こし重禁固2年の刑を受けたこともあり,日露戦争で最も危険な旅順閉塞作戦(1904)に志願し,第3次作戦で戦死(事実は捕虜のち病死),少佐から中佐への進級はなかった。 (田中宏巳) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「白石葭江」の解説 白石葭江 しらいし-よしえ 1873-1904 明治時代の軍人。明治6年12月20日生まれ。海軍兵学校卒業後,日清(にっしん)戦争,北清事変に従軍。日露戦争で旅順口閉塞(へいそく)作戦に参加,捕虜となり明治37年末に病死した。海軍少佐。32歳。東京出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by