白髪部(読み)しらがべ

改訂新版 世界大百科事典 「白髪部」の意味・わかりやすい解説

白髪部 (しらがべ)

清寧天皇=シラガノオオヤマトネコ(白髪大倭根子)の名を負うた名代。白髪部舎人(とねり),膳夫(かしわで),靫負(ゆげい)の区分があるのは,天皇の宮に出仕した舎人以下のトモ(伴)の資養にあてられたベ(部)であることを示す。白髪部という氏姓は,武蔵,上総下野美濃などの東国と山背,備中などに分布する。この後,光仁天皇の諱(いみな)である白壁を避けて真壁と改められたが,《和名抄》では,真壁郷駿河常陸,上野,下野,備中にみられるから,これをみても東国に多い。かつて東国から出仕した舎人らのため設定されたものであろう。1980年飛鳥板蓋(いたぶき)宮跡から〈白髪部五十戸〉と記された木簡が発掘された。これは〈大花下〉とある木簡と伴出したので649年(大化5)から664年(天智3)までのものであることが知られ,おそらく備中国窪屋郡白髪部郷からの貢進物付札であり,この年代の白髪部里の実在が確実となった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の白髪部の言及

【名代・子代】より

… 記紀の伝承をみると,品遅部(ほむちべ)=垂仁天皇皇子誉津別(ほむつわけ)命,伊登志部(いとしべ)=垂仁天皇皇子伊登志別(いとしわけ)王,武部(たけるべ)=景行天皇皇子日本武(やまとたける)尊,葛城部(かつらぎべ)=仁徳天皇皇后磐之媛(いわのひめ)(葛城氏出身),軽部(かるべ)=允恭天皇太子木梨軽(きなしかる)皇子,刑部(おさかべ)=允恭天皇皇后忍坂大中姫(おさかおおなかつひめ),穴穂部(孔王部)(あなほべ)=允恭天皇皇子穴穂(あなほ)皇子などの例が記録される。これにつづく時代に,長谷部(はせべ)=雄略天皇(大泊瀬幼武(おおはつせわかたけ),泊瀬朝倉(はつせのあさくら)宮),白髪部(しらがべ)=清寧天皇(白髪大倭根子(しらがのおおやまとねこ)),勾部(まがりべ)=安閑天皇(勾金橋(まがりのかなはし)宮),檜隈部(ひのくまべ)=宣化天皇(檜隈廬入野(ひのくまのいほりの)宮),金刺部(かなさしべ)=欽明天皇(磯城嶋金刺(しきしまのかなさし)宮),他田部(おさだべ)=敏達天皇(訳語田幸玉(おさだのさきたま)宮)などが記録される。品遅部以下,穴穂部までは,后妃が皇子・王子を養育するため,壬生(乳父)(みぶ)としてその宮にあてられた,いわゆる湯沐(とうもく)料をさすものと思われ,子代にあたる。…

※「白髪部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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