デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「百々漢陰」の解説 百々漢陰 どど-かんいん 1774-1839 江戸時代後期の医師。安永3年生まれ。百々俊道の弟。父百々俊亮に医学を,皆川淇園(きえん)に儒学をまなぶ。蘭学者辻蘭室の娘と結婚。朝廷の御医だった父の跡をつぐことを命じられたが固辞し,開業医となった。天保(てんぽう)10年4月13日死去。66歳。京都出身。名は俊徳。字(あざな)は克明。通称は内蔵太。別号に冬青,確斎。著作に「医粋約範」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例