江戸後期の儒者。名は愿(げん)、字(あざな)は伯恭(はくきょう)。淇園、筇斎(きょうさい)、有斐斎(ゆうひさい)と号し、通称文蔵。享保(きょうほう)19年12月8日京都生まれ。国学者富士谷成章(ふじたになりあきら)は実弟。幼少より英才教育を受け、一流の儒者に就いて学んだが、10代のころから漢字の字義と易学に関心をもち、安永(あんえい)・天明(てんめい)年間(1772~1788)にそれらを総合して開物(かいぶつ)学を提唱した。開物とは、字義を音声によって把握し、「名」によって「物」がみえてくるようにすることである。この方法で儒学用語を定義し直して『名疇(めいちゅう)』(天明4年序)を著した。1759年(宝暦9)より京都・中立売(なかだちうり)室町西入町で儒学を講じて多くの儒者を養成した。その「受業門人帳」には公卿(くげ)から庶民まで門弟千数百人を数え、平戸藩主松浦静山(まつらせいざん)も門人であった。一方、著述にも努め、『淇園詩話』(1771)『問学挙要』(1774)『易学開物』『助字詳解』(1813)、諸経書の『繹解(えきかい)』など多数がある。学者や画家などとの交友も広く、風雅に遊んで詩書画をよくする文人でもあった。1805年(文化2)京都に弘道館を建てたが、2年後の文化(ぶんか)4年5月16日、74歳で没した。
[高橋博巳 2016年7月19日]
『『日本思想大系 47 近世後期儒家集』(1972・岩波書店)』▽『『漢語文典叢書 4 虚字詳解』(1980・汲古書院)』▽『国金海二解説『助字詳解』(勉誠社・勉誠社文庫)』
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江戸中期の儒者。名は愿,字は伯恭,通称は文蔵。淇園のほか笻斎,呑海子などとも号した。京都の人。易の開物思想に基づく独自の哲学的思索がその著《名疇》(1784)などにみられ,音韻や字義に関するユニークな著作も多い。また書画をよくした。通常の儒者の枠をこえる思想家であった。著書は《易学開物》《易学階梯》《易原》のほか《大学繹解》《老子繹解》《実字解》《習文録》など多数。
執筆者:衣笠 安喜
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…その内容は当時行われていた中国の重要産業を網羅し,それらについて知識人向けの解説を行ったものである。 朝鮮でも李朝時代に〈実事求是〉をスローガンとする実学派があったが,こうした大陸からの影響もあって,日本でも17世紀には熊沢蕃山が儒学を単なる名分論ではなく,利用厚生論として発展させ,18世紀には富永仲基や大坂の懐徳堂派の学風が町人的実学を進め,さらに皆川淇園,林子平,工藤平助,本多利明,佐藤信淵などの開物思想家が輩出した。それは信淵によれば,〈国土を経営し,物産を開発し,境内を豊饒にし,人民を蕃息せしめる業〉という国土開発・産業開発の事業を展開させようとする考え方であった。…
※「皆川淇園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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