朝日日本歴史人物事典 「百武万里」の解説
百武万里
生年:寛政6(1794)
江戸後期の蘭方医。筑前(福岡県)宗像郡福間生まれ。父は的野麗庵。若年から2回上京,吉益北洲(南涯養嗣,本名青沼道立)に師事した。帰郷後,漢方医として開業するも,文政8(1825)年長崎鳴滝でシーボルトに師事,1年後,博多市小路町に蘭方医を開業。天保12(1841)年,万里が主唱して福岡藩医谷仲英を総監に立て博多大浜で解剖を実施した。解剖時の注意4カ条はシーボルトの指導と思われるが,医の倫理を示す。この解剖で博多の民衆は万里を忌避し,万里も一時患者の幽霊話に悩み,箱崎に移る。その後,博多の民衆も時代の推移を理解,再度博多に迎えられ,患者の敬愛を一身に集めた。
(中西啓)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報