百瀬村
ももせむら
[現在地名]松本市寿 百瀬
鉢伏山麓の西斜面、牛伏川の扇状地の裾と、塩尻峠・善知鳥峠を水源とする田川の間にある。
長享二年(一四八八)の春秋之宮造宮之次第によれば「百瀬・小池・清水三郷」と並記され、当時、百瀬郷は諏訪社下社と関係をもっていた。
天正一九年(一五九一)の検地では松本藩石川氏八万石の所領で、わずか八〇石九斗九升六合であった。元和三年(一六一七)諏訪高島藩領に編入され、寛文七年(一六六七)の検地で一五九石一斗八升二合一勺と増石し、同一二年南百瀬村二二石六斗六升五合六勺一才を分けている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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