百首城跡(読み)ひやくしゆじようあと

日本歴史地名大系 「百首城跡」の解説

百首城跡
ひやくしゆじようあと

[現在地名]富津市竹岡

竹岡の城山たけおかのしろやま付近に築かれた中世の城跡。造海つくろうみ城と称される城と同一のものである。金谷かなや城と同時期に真里谷武田氏によって築城されたと考えられている。文明三年(一四七一)三月真里谷丹波捌海つくろうみ城郭を構え、海陸の関所としたため里見義成が攻め落したとされ、このとき丹波が城周辺の景観を百首の和歌に詠むことができれば開城するといったところ里見側の将兵が即座に応じたとされ、これに由来して城名に定めたという(里見代々記)。「快元僧都記」天文二年(一五三三)七月二七日条に「百首之要害」とみえ、里見義豊により自害させられた里見本宗家の実尭の一族がこの要害に籠城し、北条氏の援助を求めたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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