里見義成(読み)さとみ・よしなり

朝日日本歴史人物事典 「里見義成」の解説

里見義成

没年文暦1.11.28(1234.12.20)
生年保元2(1157)
鎌倉前期の武将。新田一族の里見義俊の子,太郎,冠者を称し,伊賀守となる。上野国(群馬県)碓氷郡里見の領主治承4(1180)年,源頼朝の鎌倉入りの直後に京都より馳せ参じ,遅れを叱責された祖父新田義重に対比して頼朝より賞された。その後,頼朝の側近として活動し,鶴岡社参,上洛,巻狩などに随従した。嘉禄1(1225)年ごろに隠退して子義継に家督を譲った。没したとき,将軍家の寵士としてさまざまの人からその死を惜しまれたと『吾妻鏡』に記されている。<参考文献>新田町編『新田荘新田氏

(峰岸純夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「里見義成」の解説

里見義成 さとみ-よしなり

1157-1234 平安後期-鎌倉時代の武将。
保元(ほうげん)2年生まれ。新田氏の一族里見義俊の子。上野(こうずけ)(群馬県)碓氷(うすい)郡里見の地頭。治承(じしょう)4年源頼朝の挙兵の際いちはやくかけつけ,以後側近として活躍した。文暦(ぶんりゃく)元年11月28日死去。78歳。通称は太郎,里見冠者。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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