朝日日本歴史人物事典 「里見義成」の解説
里見義成
生年:保元2(1157)
鎌倉前期の武将。新田一族の里見義俊の子,太郎,冠者を称し,伊賀守となる。上野国(群馬県)碓氷郡里見の領主。治承4(1180)年,源頼朝の鎌倉入りの直後に京都より馳せ参じ,遅れを叱責された祖父新田義重に対比して頼朝より賞された。その後,頼朝の側近として活動し,鶴岡社参,上洛,巻狩などに随従した。嘉禄1(1225)年ごろに隠退して子義継に家督を譲った。没したとき,将軍家の寵士としてさまざまの人からその死を惜しまれたと『吾妻鏡』に記されている。<参考文献>新田町編『新田荘と新田氏』
(峰岸純夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報