室町後期の武将。小弓御所(おゆみごしょ)。古河公方(こがくぼう)第2代政氏(まさうじ)の子、同3代高基(たかもと)の弟。初め僧となったが、1510年(永正7)に還俗(げんぞく)する。空然(くうねん)、宗済(そうさい)、道哲などと号し、雪下殿(ゆきのしたどの)ともよばれ、12点の発給文書が残存しており、それらからみると、古河公方に準じた権限を行使している。父や兄高基と不和で奥州を流浪するが、上総(かずさ)の武田氏に迎えられ、1517年に下総(しもうさ)小弓城(千葉市南生実町)に入る。後北条(ごほうじょう)氏と結ぶ兄と対立し東国に覇を唱えようとした。1537年(天文6)里見義尭(よしたか)と結び真里谷の上総武田氏の内紛に干渉、翌1538年(天文7)10月、後北条氏の軍勢と下総国府台(こうのだい)で合戦し、弟基頼、子義純とともに敗死した。
[平田満男]
『『小弓御所様御討死軍物語』(『続々群書類従』所収)』▽『大野太平著『房総里見氏の研究』(1933・宝文堂/復刻版・1972・千葉県郷土資料刊行会)』
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(滝川恒昭)
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… 室町時代の上総は犬懸上杉氏の本拠となり,上杉禅秀の乱後,1418‐19年(応永25‐26)には氏憲の遺臣榛谷重氏らが平三城(市原市平蔵),坂水城(不明,夷隅郡岬町か)に拠り一揆(上総本一揆)を起こしている。戦国時代に入ると,安房の里見氏が勢力をふるい,義尭(よしたか)のとき上総に進出し,小弓(おゆみ)御所足利義明を支持して1538年(天文7)北条氏綱と下総国府台(こうのだい)(市川市)で戦ったが敗れ,義明は討たれた。このころ義尭は久留里城(君津市久留里),義尭の子義弘は佐貫城(富津市佐貫)にいて南房総を分国とした。…
…戦国時代に南房総を領国とした大名。清和源氏新田氏流。新田義重の子義俊が上野国碓氷郡里見郷に住み,里見を称したのに始まる。義俊の9代後の家基が結城合戦で討死し(1441),嫡子義実が逃れて相模国三浦に落ち,三浦氏の援助のもとに安房国白浜に渡り,以後房総里見氏の活動が始まったという。当時の安房国では長狭郡に東条氏,朝夷郡に丸氏,安房郡に神余氏,平群郡に安西氏の4豪族が分立していたが,義実は武略をめぐらせて諸豪を押さえ,1445年(文安2)安房一国を平定したと房総の諸軍記は伝えている。…
※「足利義明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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