皆河庄(読み)みながわのしよう

日本歴史地名大系 「皆河庄」の解説

皆河庄
みながわのしよう

現栃木市域のうち明治二二年(一八八九)成立の皆川みながわ村を中心とした地域とみられる。「吾妻鏡」にでる皆河四郎・皆河権六太郎・皆河太郎などの皆河氏(文治元年一〇月二四日、建久三年六月一三日、同六年三月一〇日、承久三年六月一八日各条)は、源頼朝の随兵一員としてみえたり、あるいは将軍家の奈良東大寺供養に供奉したり、山城宇治橋合戦で活躍するなど、鎌倉幕府御家人に列せられていた。当庄はこの皆河氏の開発所領を皇室に寄進することで立庄された寄進地系庄園と推定される。延応元年(一二三九)一二月二五日の四条天皇宣旨写(門葉記)によれば、皆河庄は順徳院の皇女大谷姫宮家領であったが、嘉禄年間(一二二五―二七)に二品尊性法親王(後高倉院皇子、青蓮院門跡)家に譲渡され、さらに天福元年(一二三三)長く青蓮院門跡領とする旨の宣旨が出された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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