長沼宗政(読み)ながぬま・むねまさ

朝日日本歴史人物事典 「長沼宗政」の解説

長沼宗政

没年仁治1.11.19(1241.1.2)
生年:応保2(1162)
鎌倉前期の武士小山政光の子。下野国長沼荘(栃木県二宮町)を本領とし,同国の御厩別当職を帯した。寿永2(1183)年の野木宮合戦では兄の小山朝政に従い,合戦ののち兄の名代として鎌倉に参上した。その後,平家や奥州藤原氏の追討従軍。建保1(1213)年畠山重忠の末子重慶 を討つ。承久の乱後,摂津淡路守護に補され,淡路守に任じた。鎌倉の邸は将軍御所の南にあり,所領は下野のほか陸奥・美濃美作備後・武蔵などにおよぶ有力御家人となったが,将軍実朝を「武芸廃するに似たり」と評するなど「荒言悪口之者」として知られた。<参考文献>野口実『坂東武士団の成立発展

(野口実)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長沼宗政」の解説

長沼宗政 ながぬま-むねまさ

1162-1241* 平安後期-鎌倉時代武将
応保2年生まれ。小山政光(おやま-まさみつ)の子。下野(しもつけ)(栃木県)長沼荘の豪族。寿永2年源頼朝と対立した源義広を下野で討つ。のち平家追討や奥州攻め,承久(じょうきゅう)の乱でも活躍。摂津,淡路(あわじ)の守護をつとめた。仁治(にんじ)元年11月19日死去。79歳。
格言など】当代(源実朝)は女性をもって宗(むね)となし,勇士は無きが如し(「吾妻鏡」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の長沼宗政の言及

【長沼氏】より

…中世,下野の在地領主。小山政光の子宗政を祖とする。宗政は,朝政(小山),朝光(結城)とともに小山三兄弟の一人で,治承・寿永の内乱期には,朝政とともに志田義広を下野野木宮(のぎのみや)合戦に破り,平氏や奥州藤原氏追討に戦功を立てた。1213年(建保1)には,畠山重忠の子の僧重慶が日光山麓で反乱を企てるとの風聞が立つと,逮捕の命に背いてこれを誅殺し,将軍源実朝の怒りを買った。承久の乱では戦功があり,淡路の守護に任命され,この翌々年淡路国大田文が作成されている。…

※「長沼宗政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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