朝日日本歴史人物事典 「長沼宗政」の解説
長沼宗政
生年:応保2(1162)
鎌倉前期の武士。小山政光の子。下野国長沼荘(栃木県二宮町)を本領とし,同国の御厩別当職を帯した。寿永2(1183)年の野木宮合戦では兄の小山朝政に従い,合戦ののち兄の名代として鎌倉に参上した。その後,平家や奥州藤原氏の追討に従軍。建保1(1213)年畠山重忠の末子重慶 を討つ。承久の乱後,摂津・淡路の守護に補され,淡路守に任じた。鎌倉の邸は将軍御所の南にあり,所領は下野のほか陸奥・美濃・美作・備後・武蔵などにおよぶ有力御家人となったが,将軍実朝を「武芸廃するに似たり」と評するなど「荒言悪口之者」として知られた。<参考文献>野口実『坂東武士団の成立と発展』
(野口実)
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