日本歴史地名大系 「益富城跡」の解説 益富城跡ますとみじようあと 福岡県:嘉穂郡嘉穂町下中益村益富城跡[現在地名]嘉穂町中益現中益(なかます)と大隈(おおくま)にまたがる標高二〇〇メートルの城(しろ)山に所在する山城跡。別称大隈城。戦国期は秋月氏の支城で、慶長五年(一六〇〇)以降は黒田氏の支城になり、六端城の一つとされて後藤又兵衛基次・母里但馬友信が配置されたが、一国一城令で破却された(続風土記)。城山の山頂部には長辺一六〇メートル×短辺二六メートルの曲輪と長辺一一二メートル×短辺三二メートルの曲輪により主郭部が形成されている。主郭部には土塁・櫓台・虎口・石垣・礎石群・瓦片などが確認され、黒田氏時代に織豊系の縄張り技術を用いて改修されたものと考えられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
事典・日本の観光資源 「益富城跡」の解説 益富城跡 (福岡県嘉麻市)「福岡県文化百選 歴史散歩編」指定の観光名所。 出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報 Sponserd by