朝日日本歴史人物事典 「益田元祥」の解説
益田元祥
生年:永禄1(1558)
江戸前期の萩藩永代家老。石見国益田領主益田藤兼の次男。幼名は次郎,のち右衛門佐,又兵衛,玄蕃頭。隠居後牛庵。慶長5(1600)年関ケ原の戦ののち,長門国阿武郡須佐(山口県須佐町)に移った。先収貢租返還(関ケ原の戦によって削られた6カ国分の貢租を新領主に返還)の方途の立案者。また,元和9(1623)年~寛永9(1632)年財政改革に当たり,毛利秀元の統轄のもと,当職(萩藩国元統治機構の最高位)として顕著な実績をあげた。自己の毛利家への奉公ぶりを書き上げた『牛庵覚書』は著名。<参考文献>山口県文書館『萩藩閥閲録』
(田中誠二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報