盛光寺跡(読み)じようこうじあと

日本歴史地名大系 「盛光寺跡」の解説

盛光寺跡
じようこうじあと

[現在地名]高山町前田

高山川左岸、竹田たけだ神社(日新院跡)の南にあった。霊護山と号し、臨済宗本尊文殊菩薩。文永九年(一二七二)肝付兼石により創建され、阿弥陀像を置いてその父肝付兼員の菩提所とされた(三国名勝図会)。寺より南約二〇歩の所にあった阿弥陀堂は応永二六年(一四一九)六月肝付兼元により再興され、天文二三年(一五五四)肝付良兼、その父兼続(省釣)、肝付郡司職検見崎常陸介伴兼書らにより修造された(「阿弥陀堂修造棟札銘」肝付文書)。兼続の室(於南)も帰依して日参したと伝える(三国名勝図会)。なお阿弥陀の厨子は三尺四面、堂宇は三間四面四方縁で、裏板垂木作萱葺石居であったという(新編伴姓肝属氏系譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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