目来田村(読み)もくらいでんむら

日本歴史地名大系 「目来田村」の解説

目来田村
もくらいでんむら

[現在地名]塩沢町目来田

なか村の北。北は塩沢村集落は三国街道沿いにある。正保国絵図に村名がみえ、高一二〇石余。天和三年郷帳では高九六石四斗余。宝暦五年(一七五五)の村明細帳(小千谷市立図書館蔵)では田七町二反余・畑五反余、家数一〇、男二七・女一九、馬七。天保九年(一八三八)の願書控(塩沢織物史)によると、当村・中村・樺野沢かばのさわ村・樺野沢新田天野沢あまのさわ村・田中たなか村・大沢おおさわ村・大沢新田の八ヵ村庄屋・組頭の連名で、この年五月に廻村してきた巡見使に対して、塩沢村の縮市の日取りが遅れ、縮代金上納に間に合わないので、市日の繰上げか、納税日の繰下げを願出ている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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