直木松太郎(読み)ナオキマツタロウ

デジタル大辞泉 「直木松太郎」の意味・読み・例文・類語

なおき‐まつたろう〔なほきまつタラウ〕【直木松太郎】

[1891~1947]野球指導者。京都の生まれ。慶大在学中に米国の野球規則を翻訳して出版。また、独自のスコア記録法を確立。慶大監督、東京六大学野球連盟規則委員を務め、野球ルールの基礎を築いた。

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20世紀日本人名事典 「直木松太郎」の解説

直木 松太郎
ナオキ マツタロウ

大正・昭和期の野球人 プロ野球規則委員。



生年
明治21(1888)年1月24日

没年
昭和22(1947)年4月7日

出生地
京都府

学歴〔年〕
慶応義塾大学卒

経歴
在学中の明治43年米国の野球規則を翻訳出版。大正6年ルールの疑義解釈を米国2大リーグ総裁に求め、権威ある「野球規則書」を完成。また独自の試合記録法を考案、全国球界に採用された。卒業後も野球部育成に努め、門外不出の「慶大野球部秘伝」をまとめ選手に技術を伝えた。さらに実戦指揮、明治43年来日以来不敗のシカゴ大学を破った。大学野球理事として、六大学リーグ結成、早慶戦復活などに貢献、六大学リーグ規則委員、戦後のプロ野球規則委員にもなった。昭和45年野球殿堂入り。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「直木松太郎」の解説

直木松太郎 なおき-まつたろう

1888-1947 大正-昭和時代の野球人。
明治21年1月24日生まれ。慶応義塾在学中にアメリカの野球規則を翻訳出版。独自の試合記録法を考案,大正6年ルール上の疑問点をアメリカ2大リーグの総裁にただし,「野球規則書」を完成。のち慶大野球部監督,東京六大学野球連盟規則委員などをつとめた。昭和22年4月7日死去。60歳。45年野球殿堂入り。京都出身。

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