直海保(読み)のうみほ

日本歴史地名大系 「直海保」の解説

直海保
のうみほ

米町こんまち川上流の現志賀町北部の上熊野かみくまの地区ならびに現富来とぎ町南部の熊野地区・福浦ふくら地区を含む地域に比定され、現志賀町直海を遺称地とする。応永一九年(一四一二)八月一一日、能登守護畠山満慶が天野慶景に直海保内北浦一分地頭職を安堵(「畠山満慶書下」天野文書)、同二〇年五月四日、慶景は領地保全を確実なものとするため将軍足利義持袖判御教書(同文書)を得ている。また同二四年一〇月二日、室町幕府奉行人二階堂氏が直海保の内「熊野方切岩新田」に北浦を加えて売渡しており(「二階堂山城守売券」同文書)、室町期には幕府御料所として二階堂氏が知行していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

半夏ともいう。七十二候の一つで,本来は夏至後 10日目から小暑の前日までをいったが,現行暦では太陽の黄経が 100°に達する日 (7月1日か2日) を半夏生とし,雑節の一つとして記載している。この頃半...

半夏生の用語解説を読む