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畠山義綱 はたけやま よしつな

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

畠山義綱 はたけやま-よしつな

?-1594* 戦国-織豊時代の武将。
畠山義続(よしつぐ)の長男。能登(のと)(石川県)七尾城主。天文(てんぶん)21年(1552)家督をつぐ。重臣の対立や反乱によって永禄(えいろく)9年近江(おうみ)に追われ,のち再三領地回復をこころみたが失敗。文禄(ぶんろく)2年12月21日没したとつたえられる。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

畠山義綱

没年:文禄2.12.21(1594.2.11)
生年:生年不詳
戦国時代の武将。父は義続。能登守護,修理大夫。天文21(1552)年,領国の内紛により父義続が引退,家督を相続する。重臣七人衆による支配体制をとったが,七人衆中には遊佐続光と温井紹春の主導権争いがあった。弘治2(1556)年権力の回復と支配体制の強化を意図した義綱は,この争いに勝利した紹春を暗殺し,温井一族を加賀に追う。しかし,これは重臣らの反発を招き,永禄9(1566)年,義続共々能登からの出奔を余儀なくされた。姻戚関係にあった近江六角義弼を頼り,同11年に入国を試みるが失敗。天正5(1577)年に上杉謙信が能登を制圧したことで復帰の可能性はなくなり,能登畠山氏は滅亡。義綱は流浪の末,近江海津に没した。<参考文献>米原正義『戦国武士と文芸の研究』

(石田晴男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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