日本歴史地名大系 「相可村」の解説 相可村おうかむら 三重県:多気郡多気町相可村[現在地名]多気町相可櫛田(くしだ)川中流域の右岸にあり、初瀬(はせ)(伊勢)本街道が通る。対岸の射和(いざわ)(現松阪市)とともにこの地域の一中心をなす。東は荒蒔(あらまき)村である。「和名抄」記載の相可郷は相可・荒蒔などを含む。天暦七年(九五三)二月一一日付近長谷寺資財帳(近長谷寺蔵)に「長杜少副殿中垣」「相可故大司大中臣良扶家二月悔過三箇日夜仏供并御明料」「故相可大司大中臣垣内」「中臣寺田」などとあり、相可と伊勢神宮の祭主・宮司の一族大中臣氏との密接なつながりがうかがえる。「公文抄」に「下 道後政所 検非違使家茂 右人、所補任相可郷拒捍使俄(職カ)也、云神役、云公役、任先例、無懈怠可致沙汰候哉、如件、以下」とあって、鎌倉期に郷拒捍使職補任が行われているが、神三郡(度会・多気・飯野)では「和名抄」段階の郷が制度として遅くまで残ったことがうかがえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by