コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

相良清兵衛 さがら せいべえ

2件 の用語解説(相良清兵衛の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

相良清兵衛 さがら-せいべえ

1568-1655 織豊-江戸時代前期の武士。
永禄(えいろく)11年生まれ。犬童(いんどう)頼安の子。肥後(熊本県)相良氏の執政。対抗勢力の深水(ふかみ)氏一族を慶長の役のさなかに一掃。関ケ原の戦いでは東軍への寝返り策をとり,藩主相良長毎(ながつね)に賞されたが,寛永17年その専横を次の藩主頼寛が幕府にうったえたため陸奥(むつ)弘前(ひろさき)藩預けとなった。明暦元年7月12日死去。88歳。名は頼兄(よりもり)。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

さがらせいべえ【相良清兵衛】

1567‐1655(永禄10‐明暦1)
安土桃山・江戸初期の肥後人吉藩の重臣。名は頼兄(よりもり),本姓は犬童(いんどう)。父は頼安。犬童氏は相良家譜代の重臣。文禄期に家老職につき,朝鮮の役中に反対派の家老深水氏を追放し,独裁的存在となる。関ヶ原の戦では東軍への寝返り策によって相良氏を救い,その権勢は藩主を凌駕(りようが)した。藩政を専断し,藩主の地位をも侵すこととなり,ついに1640年(寛永17)藩主頼寛は彼の横暴を幕府に提訴した。その結果,弘前藩預の身となり配所にて死亡。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

相良清兵衛の関連キーワード園基音金森重直籬節明暦江戸通政武田信定武田義信筑紫惟門東常氏正歳

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

相良清兵衛の関連情報