朝日日本歴史人物事典 「相良長毎」の解説
相良長毎
生年:天正2.5.4(1574.5.24)
江戸初期の大名。肥後国(熊本県)人吉藩藩主。通称四郎次郎,左兵衛佐。初名頼房。相良義陽の次男。母は豊永下総某の娘。兄忠房の早世により,天正13(1585)年襲封。同15年豊臣秀吉の九州征討では島津軍に加わったが老臣深水宗方の懇願により本領安堵。慶長5(1600)年関ケ原の戦も初め西軍に属したが東軍に寝返り安堵に成功した。元和5(1619)年椎葉一揆を鎮定。相良氏は球磨一郡を領する小藩ながら,鎌倉時代以来の本領を安堵された有数の藩であり,長毎は危ない橋を幾度も渡りながら,うまくこれを乗り切った。<参考文献>『人吉市史』
(福田千鶴)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報