相馬哲平(読み)ソウマ テッペイ

20世紀日本人名事典 「相馬哲平」の解説

相馬 哲平
ソウマ テッペイ

明治・大正期の実業家 第百十三銀行頭取;相馬商店創立者;貴院議員(勅選)。



生年
天保4年5月5日(1833年)

没年
大正10(1921)年6月6日

出生地
越後国新発田(新潟県北蒲原郡中条町)

経歴
北海道函館に移住して開拓事業に着手する傍ら、北海道の金融機関の整備を志し、明治13年第百十三国立銀行、29年函館貯蓄銀行、さらに相馬銀行などを設立。また大正4年相馬合名(持株会社)、8年相馬商店(主力事業会社)なども設立した。すでに明治30年頃には北海道で100万町歩を超える土地を開墾していたが、この間、土地集積を強めて大地主となり、北海道有数の地方財閥となった。7年勅選貴院議員。神山茂編「相馬哲平伝」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「相馬哲平」の解説

相馬哲平

没年:大正10.6.6(1921)
生年:天保4.5.5(1833.6.22)
明治期の北海道有数の地方財閥の創設者。相馬熊次郎の次男として新発田藩(新潟県北蒲原郡中条町)に生まれる。文久1(1861)年に北海道箱館へ渡り米穀業を,のちに漁業の仕込み,海産物の売買,土地所有,金貸しなどを手広く営み蓄財した。この間百十三国立銀行,函館銀行,函館貯蓄銀行の設立に加わり重役となる。重要なのは,大正4(1915)年に相馬合名(持株会社),8年に相馬商店(主力事業会社)を創設,これを両輪として系列子会社,土地所有を拡大したことである。相馬家の資産額は昭和8(1933)年に3000万円で,山形の本間家,宮城の斎藤家と比肩しうる第1次産業と金貸しを基盤とした地方財閥となった。<参考文献>神崎茂編『相馬哲平伝』,相馬株式会社ほか編『創業百周年』,森川英正『地方財閥』

(渋谷隆一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「相馬哲平」の解説

相馬哲平 そうま-てっぺい

1833-1921 明治-大正時代の実業家。
天保(てんぽう)4年5月5日生まれ。文久元年北海道にわたる。米穀商,海陸産物の売買,土地の買取,金融などにたずさわり,大正元年函館貯蓄銀行,3年百十三銀行の頭取となる。また相馬合名,相馬商店などをおこし,公共事業にも尽力した。7年貴族院議員。大正10年6月6日死去。89歳。越後(えちご)(新潟県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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