真可
しんか
(1543―1603)
中国、明(みん)代の僧。達観(たっかん)真可、紫栢(しはく)尊者ともいう。呉江の人。姓は沈(ちん)氏、字(あざな)は達観、号は紫栢。17歳で親元を離れて諸師を訪ね、華厳(けごん)、法相(ほっそう)、禅(ぜん)、念仏(ねんぶつ)を学び、のち仏教復興に努めた。彼はつねに仏法を広め、衆生(しゅじょう)を救うことを旨とし、『方冊本大蔵経(ほうさつぼんだいぞうきょう)』(明(みん)版・万暦(ばんれき)版)を刊行し、寺塔の復興に尽くしたが、1603年(万暦31)皇太子擁立の妖書(ようしょ)事件に巻き込まれ、同年12月17日獄死した。著書多く、『紫栢尊者全集』29巻、『同別集』4巻などがある。
[柴田 泰 2017年2月16日]
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真可
しんか
Zhen Ke
[生]嘉靖22 (1543)
[没]万暦31 (1603)
中国,明の学僧。江蘇省呉江県の人。姓は沈氏。字は達観。号は紫栢。袾宏,徳清,智旭とともに明代四大師と称される。真可が行なった万暦版の大蔵経の出版は仏経流通のうえで画期的な貢献をした。著書『紫栢斎全集』。
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世界大百科事典(旧版)内の真可の言及
【紫柏真可】より
…中国,明代の傑僧。雲棲袾宏,憨山徳清,藕益知旭と並ぶ〈万暦の四大師〉の一人。字は達観,紫柏は号。紫柏尊者とも称された。俗姓は沈,江蘇省呉江の人。その性格は勇猛不覊で,遊俠の行を慕ったこともあるが,20歳のとき具戒を受ける。説くところは禅と浄土教を習合させた禅浄一致であるが,明末思想界を席巻した王陽明抜本塞源の風をうけ,社会的関心が強かった。臨済,大慧の再来と称されるほど人望があり,朝廷の寵遇も受けたが,憨山徳清の流刑,鉱税の害等の時弊に対する糾弾は官僚の側目するところとなり,神宗の皇太子冊立に関する妖書事件に連座,処刑される。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」