日本大百科全書(ニッポニカ) 「徳清」の意味・わかりやすい解説
徳清
とくせい
(1546―1623)
中国、明(みん)末の僧。号は憨山(かんざん)、字(あざな)は澄印(ちょういん)、俗姓は蔡(さい)氏、諡号(しごう)は弘覚(こうがく)大師。金陵全椒(ぜんしょう)の人。12歳で西林永寧(さいりんえいねい)(1483―1565)に師事し、19歳で受戒、栖霞(せいか)寺の雲谷法会(うんこくほうえ)(1500―1575)、伏牛山法光(ふくぎゅうざんほうこう)に禅を学ぶ。また清涼澄観(しょうりょうちょうかん)の遺風を慕って華厳(けごん)を学び、念仏も修して、諸宗融合の立場にたち、さらに儒仏の融和も説いた。袾宏(しゅこう)、真可(しんか)、智旭(ちぎょく)とともに明末の四大釈家とよばれる。青州牢山(せいしゅうろうざん)の海印(かいいん)寺、廬山(ろざん)の法雲禅(ほううんぜん)寺などを開き、五台山、曹渓(そうけい)にも住した。著述は『観楞伽経記(かんりょうがきょうき)』『華厳綱要(けごんこうよう)』『楞厳通義(りょうごんつうぎ)』など多数ある。
[末木文美士 2017年3月21日]