日本歴史地名大系 「真喜屋村」の解説 真喜屋村まぎやーむら 沖縄県:沖縄島北部名護市真喜屋村[現在地名]名護市真喜屋(まきや)羽地(はにじ)間切の北東寄りに位置し、西は仲尾次(なこーし)村。マギャーとよび、その意味はマジャ(真謝)、つまりマージ質の土壌に由来するという。集落は北の東シナ海と羽地(はねじ)内海を前にする緩傾斜地に立地する。多野(たの)岳をはじめとする南側の山地から流れ出る真喜屋(まきや)大川と真喜屋満川(まきやまんがー)が造る沖積地は、かつてマギャーターブックヮ(真喜屋田袋)とよばれた美田地帯を形成した。前の海には墓の島である奥武(おう)島やジャルマ島がある。絵図郷村帳に羽地間切「まぎや村」とみえる。琉球国高究帳では同間切「まきや村」と記され、高頭二八一石余、うち田二六六石余・畠一四石余。「琉球国由来記」では真喜屋村と記され、真喜屋之嶽(神名ツツロマギヤミヤデラノ御イベ、現在の上之御嶽)・マテキヤ嶽(神名モリコガネノ御イベ)、真喜屋(まぎやー)巫火神と神アシアゲ二ヵ所は真喜屋ノロの祭祀で、同ノロはほかに瀬洲(しー)・源河(ぎんか)・仲尾次の三ヵ村の祭祀を管轄した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by