真坂村(読み)まさかむら

日本歴史地名大系 「真坂村」の解説

真坂村
まさかむら

[現在地名]一迫町真坂

曾根そね村の西に位置し、集落はほぼ南東流する一迫川沿いと、その南の支流いにしえ川に挟まれた沖積地に立地する。村東をかみ街道が南北に走り、街道沿いに真坂宿町並があり、町北で(長崎川)が一迫川に注ぐ。南は清水しみず村、西に清水目しずのめ村・長崎ながさき村・大川口おおかわぐち村。当村端郷の北沢きたざわ村は町の北東にある。「仙台領古城書上」に一迫伊豆隆真を城主とする真坂城および湯山雅楽允を城主とする姫松ひめまつ城がみえ、湯山氏は大崎氏家臣と伝える。一迫氏は真坂氏とも称したとされ、また永正一一年(一五一四)の「余目記録」に「一迫狩野殿ハ六代」とある狩野氏とする説もあるが未詳。


真坂村
まさかむら

[現在地名]八郎潟町真坂

八郎潟東部、高岳たかおか山の西麓、筑紫ちくし岳・三倉鼻みくらはなの南に位置し、羽州街道に沿う。北は三倉鼻を隔てて山本郡天瀬川あませがわ(現山本郡琴丘町)、南は夜叉袋やしやふくろ村に接する。東は浦大町うらおおまち村、西は水田を隔てて八郎潟に至る。沢田さわたには貞和二年(一三四六)銘の自然石板碑がある。

天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に「四百八拾四石九斗二升五合 おしきり村 泉沢村 横町村 満さか村 立すミ湊村」と連記される。文禄元年(一五九二)の秋田実季分限帳(秋田家文書)には「百拾弐石七斗四升 真坂村」とある。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に二〇四石、新田とあるが、享保一四年(一七二九)の秋田郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)に「正保元禄誤新田出」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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