改訂新版 世界大百科事典 「真壁氏」の意味・わかりやすい解説
真壁氏 (まかべうじ)
中世常陸の武家。桓武平氏常陸大掾(だいじよう)氏の分流。1172年(承安2)多気直幹の子長幹が常陸国真壁郡の郡衙跡(現茨城県桜川市,旧真壁町)に居城を構えたところからおこるという。長幹は鎌倉幕府御家人となり,鎌倉初期に常陸大掾本宗家が滅びたあとも,真壁氏は真壁郡内の郷を名字とする庶族に分有させ繁栄,同国一宮鹿島社7月大祭の大使をつとめる常陸大掾氏七流の一つとして重きをなした。南北朝期,真壁幹重は北畠親房を助け,小田,関,下妻氏らとともに常陸に南朝の拠点を築いたが,その子高幹は足利方へ転じ家を保った。室町期,鎌倉公方足利持氏と京都との対立が激化し,京都御扶持衆小栗満重が持氏に対して挙兵すると,同じ京都御扶持衆である真壁慶幹も満重にくみしたが,1423年(応永30)持氏軍に攻撃され真壁城は落城。真壁氏の家督は持氏に従った朝幹が継承した。戦国期は佐竹氏に属し,1602年(慶長7)真壁房幹が佐竹氏の秋田転封に従い常陸を去った。
執筆者:青山 幹哉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報