真壁城(読み)まかべじょう

日本の城がわかる事典 「真壁城」の解説

まかべじょう【真壁城】

茨城県桜川市(旧真壁町)にあった平城(ひらじろ)。国指定史跡。平安時代末期の1172年(承安2)、真壁を領有した常陸大掾多気直幹の四男の長幹がかつての郡衙跡に築いた城である。長幹は1189年(文治5)には主家の常陸守護八田知家に従って源頼朝の奥州藤原氏征討に従軍し功をあげた。長幹の家系はその後、真壁氏を名乗った。南北朝時代には、真壁氏は小田城に籠城した北畠親房に呼応して、南朝方の武将として戦った。戦国時代には、真壁氏は小田氏と同盟し、その傘下に加わっていたが、小田氏から自立をはかり、1569年(永禄12)、城主の真壁氏幹は手這坂の戦いで小田政治を破っている。その後、真壁氏は佐竹氏と同盟したが、1590年(天正18)に佐竹義宣豊臣秀吉から常陸国54万石を安堵されたことにより、佐竹氏の領地に組み入れられ、真壁氏は佐竹氏の被官となり、1602年(慶長7)には国替えとなった佐竹氏に従って出羽角館(かくのだて)(秋田県)に移った。真壁氏の去った真壁城は浅野長政の隠居地となり、長政の死後三男浅野長重が真壁城に入城して陣屋を構えた。長重は1622年(元和8)、笠間城移封となり、1624年(寛永1)、稲葉正勝が1万石で入部したが、正勝も1628年(寛永5)に下野真岡に移封されて天領となり、真壁城は廃城となった。かつての本丸跡は旧真壁町立体育館が建っているが、かつての曲輪(くるわ)、土塁、水堀などの縄張りなどが残っている。国指定史跡となって発掘整備が進められ、一部土塁が復元されている。また、城門の一つの薬医門2棟が、市内の楽法寺黒門と個人宅表門として移築され現存している。首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスつくば駅、またはJR水戸線下館駅からバス。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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