日本歴史地名大系 「真導廃寺遺跡」の解説
真導廃寺遺跡
しんどうはいじいせき
[現在地名]西条市中野
当遺跡の発見は昭和五年(一九三〇)の布目瓦出土確認に始まり、廃寺創建もこれによって平安中期にまでさかのぼって考えられた。昭和五〇年三月発掘調査の結果、周辺にある経塚は鎌倉時代以後のものであるが、布目瓦は奈良時代後半のものであることがわかった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
当遺跡の発見は昭和五年(一九三〇)の布目瓦出土確認に始まり、廃寺創建もこれによって平安中期にまでさかのぼって考えられた。昭和五〇年三月発掘調査の結果、周辺にある経塚は鎌倉時代以後のものであるが、布目瓦は奈良時代後半のものであることがわかった。
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