デジタル大辞泉
「西条市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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西条市
さいじようし
面積:二二六・〇二平方キロ
県の東部(東予)の中央にあり、西南隅に西南日本の最高峰石鎚山、東南隅に笹ヶ峰、両山の中間に瓶ヶ森がそびえ、三山を結んで標高一五〇〇―一九〇〇メートル級の高山が東西に連なり、高知との県境を形成する。市域の七四パーセントを占める南部山地は、険しく深い山林に覆われた過疎地である。石鎚連峰に源を発し、V字谷をなして北流する渦井・室・加茂などの諸河川は、北麓の断層崖下に東西に細長い西条平野を展開して燧灘に注ぎ、延長一六キロの海岸線の地先に、干拓適地の干潟を逐次形成してきた。条里制の遺構をもつ平野部は、水量豊かな河川とその伏流水・泉など地下水に恵まれ、諸産業文化の発達がみられ、市の中枢部となっている。
条里制にちなんだと思われる西条の地名は「予陽河野家譜」建保六年(一二一八)一一月の条にみえ、河野通信が鎌倉幕府から「伊予国守護職并新居西条庄」を与えられたとある。西条庄は、「和名抄」に記載された新居郡内の賀茂・嶋山・神戸の各郷にまたがっていたと思われる。
〔原始〕
加茂川が山間部から西条平野へ流入する境目の東岸にある市倉遺跡からは、縄文中期の土器と石斧が発見され、弥生後期とみられる土器・石包丁・石鏃などを出土する高地性住居遺跡八堂山(一九六メートル)は、南に霊峰石鎚山を仰ぎ見る祭祀的性格を帯びるといわれる。氷見地区に古墳時代後期に属する横穴式石室円墳の西大塚古墳をはじめ東大塚・忍塚・経塚などの古墳があり、船屋地区に諏訪山・内山古墳などがある。
〔古代〕
まず加茂川西岸の神戸地区を中心として古代文化が発達した。
伊曾乃神社や奈良時代の寺院跡の礎石と複弁蓮華文瓦が発見された真導廃寺遺跡などが中野にある。伊曾乃神社は天平神護元年(七六五)と翌年にかけて神封一五烟があてられ、従四位下の神階が授けられ、古代後期、正二位まで増階された式内社である。
八世紀半ば頃来予した万葉歌人山部赤人によって、「伊予の高嶺」とうたわれた(「万葉集」巻三)石鎚山を、同じ頃、僧空海と寂仙が山岳修行の聖地としたことが、「聾瞽指帰」「日本霊異記」にみえ、山岳信仰の古い伝統が知られる(→石鎚山)。
〔中世〕
建保六年河野通信に宛行われたという西条庄(予陽河野家譜)は、鎌倉の覚園寺領となったが、荘内に得重・得恒・福武・稲満の四つの地名があったことが知られている。貞治三年(一三六四)河野通盛は、所領の西条庄内の菊壱名光明寺如来堂と賀茂宮神田を風早郡善応寺(現北条市)に寄進している(→西条庄)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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西条〔市〕
さいじょう
愛媛県東部,燧灘に面する市。北部は道前平野,南部は石鎚山脈の北斜面にあたり,南で高知県に接する。 1941年市制。 1956年加茂村,大保木村の2村と新居浜市の一部を編入。 2004年東予市,小松町,丹原町と合体。古代には条里制がしかれ,中心市街地は近世は松平氏3万石の城下町として発達。近世以後大規模な干拓事業が行なわれた。埋立て地には 1930年代に火力発電所,繊維工場が立地,1964年東予新産業都市に指定された。米作,果樹や野菜の栽培が盛んで,愛宕柿の産地として有名。沿岸漁業も行なわれ,県下有数の養殖ノリの産地。西山の興隆寺は本堂,銅鐘,宝篋印塔が国の重要文化財。飛鳥時代の創建といわれる法安寺跡は国の史跡。西条の陣屋跡には郷土博物館があり,西条祭として有名な伊曾乃神社の秋祭の五十余台のだんじり行列は,美しさで知られる。中野の保国寺の石庭庭園は国の名勝。四国八十八ヵ所第 60番札所の横峰寺,第 61番札所の香園寺,第 62番札所の宝寿寺,第 63番札所吉祥寺,第 64番札所の前神寺がある。飯岡にある往至森 (おしもり) のキンモクセイは国の天然記念物。南部は石鎚国定公園に属し,石鎚山への登山拠点となっている。 JR予讃線,国道 11号線,194号線,196号線,東予有料道路が通じるほか松山自動車道のインターチェンジがある。面積 510.04km2。人口 10万4791(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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