真志野村(読み)まじのむら

日本歴史地名大系 「真志野村」の解説

真志野村
まじのむら

[現在地名]諏訪湖南こなみ 北真志野・南真志野

守屋もりや山の北麓にあり、北西有賀あるが村、南東大熊おおぐま村に接する。承久元年(一二一九)七月の「諏方十郷日記」(守矢文書)に、「真志野四十八丁合廿五間之内二間供僧、二間神主」とあり、これにみえる郷の中では最大である。中世には諏訪社上社の内県介の役を度々務め、大祝職位事書には、建武二年(一三三五)以来大祝の即位儀式の費用負担者として、真志野神主こうぬしの名がみえる。

慶長一八年(一六一三)三月の信州諏訪郡高辻には「高千百四拾六石三斗八合 真志野(郷カ)」とある。享保一八年(一七三三)書上の諏方藩一村限村地図(長野県庁蔵)では、北真志野村・板沢新田いたざわしんでん・南真志野村が分けて書かれており、家数は北真志野村一六二軒、板沢新田五軒、南真志野村一八六軒・寺二ヵ所とあり、石高はまとめて、一千四八八・二石余と書かれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む