日本歴史地名大系 「真手野村」の解説 真手野村まてのむら 佐賀県:伊万里市真手野村[現在地名]伊万里市黒川町(くろがわちよう)真手野標高一〇〇メートル台の丘陵地帯で、中央を板治(いたじ)川が東流。慶長絵図に「真手野 荒瀬ノ内」とある。村内に華蔵(けぞう)寺がある。もと波多三河守の菩提所瑞巌(ずいがん)寺(現東松浦郡北波多村)の末庵であったが波多氏滅亡後は衰えた。その後高徳(こうとく)寺(現唐津市)が庵を再興し改宗して、禅宗から真宗大谷派となり、華蔵寺と改めた。ここに平安仏の如来形立像が安置されている。 真手野村まてのむら 佐賀県:武雄市真手野村[現在地名]武雄市武内町(たけうちまち)真手野松浦川上流の両岸に位置し、南は西山(にしやま)村、北は本部(もとべ)村、東は川古(かわご)村に接する。正保絵図に村名がみえる。この地は鎌倉時代から室町時代まで塚崎後藤氏の領地で、塚崎(つかざき)庄に属した。「藤山考略」(武雄鍋島家文書)によれば、塚崎後藤氏二代資茂が西下の際、松尾姓の家臣一七騎を従えていたとあり、松尾苗字の多い地域である。しかし塚崎後藤氏の先祖が、伝えられるように河内国からきたかどうか、他に確証はない。四代宗明が長島(ながしま)庄墓崎(つかざき)村の地頭であったことは、証する史料があるが、その時点に墓崎村に真手野村が含まれていたかは不明である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by