真清田庄(読み)ますみだのしよう

日本歴史地名大系 「真清田庄」の解説

真清田庄
ますみだのしよう

皇室領。尾張一宮真清田社領。愛知・海東かいとう海西かいさい・中島・葉栗・丹羽春部かすがべの少なくとも七郡にわたって分布した免田からなり、所在地・四至は確定できない。当庄はまた「真清田社」「まきよたのやしろ」「一宮」とも記される。

寿永三年(一一八四)四月六日付源頼朝下文案(久我文書)に「池大納言家沙汰」として「真清田社尾張」とあるのを初見とする。成立は、当庄が鳥羽上皇の御願寺安楽寿院領である(嘉元四年「後宇多上皇院宣案」竹内文平氏所蔵文書)ことから、少なくとも安楽寿院の建立まではさかのぼるといえよう。安貞三年(一二二九)二月二〇日付平光盛譲状(久我文書)に「おはりの真清田は、きをん女御と申しゝ人しりはしめて、このいゑに知行して六十余年なり候、さうゐあるましき所なり」とみえ白河上皇の寵妃であった祇園女御が知行しはじめ、仁安―嘉応(一一六六―七一)頃「このいゑ」すなわち池大納言家に移ったことが確認される。白河上皇―鳥羽上皇―安楽寿院と本家職が伝領されたと推定され、その後は八条院―安嘉門院―室町院―昭慶門院と伝領された。

一方、祇園女御の知行したのは後に「預所職」(寿永二年「八条院庁下文」久我文書)と表現された例もあるが、実質的には領家職とみることができる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android