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池禅尼 いけのぜんに

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

池禅尼
いけのぜんに

平安時代末期の人。藤原宗兼の娘。平忠盛後妻となり,家盛,頼盛を産む。六波羅池殿に住んだので池禅尼という。平治1 (1159) 年の平治の乱 (→保元・平治の乱 ) で敗れた源頼朝は,翌年平清盛方に捕えられ,あわや殺されるところ,清盛の義母にあたる池禅尼の計らいで一命を助かり,伊豆に流された。禅尼の亡き子家盛に似ていたゆえの助命という。この縁により,後年子の頼盛は平氏一族西走のときも都に残り頼朝の庇護を受けた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

池禅尼 いけのぜんに

?-? 平安時代後期,平忠盛の妻。
少納言藤原宗兼(むねかね)の長女。先妻の子清盛をそだて,家盛,頼盛を生む。仁平(にんびょう)3年(1153)夫の死後に出家。平治(へいじ)の乱に敗れた14歳の源頼朝の助命を清盛に嘆願,伊豆(いず)流罪にとどめさせた。頼朝が早世した子の家盛にうりふたつときいたためとつたえられる。名は宗子。

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朝日日本歴史人物事典の解説

池禅尼

生年:生没年不詳
平安時代後期の女性。名は宗子。修理権大夫藤原宗兼の娘で,平忠盛の後妻。家盛,頼盛の母,清盛の継母に当たる。仁平3(1153)年1月15日の忠盛の没後出家。六波羅邸内の池殿に住み,池尼公,池禅尼などと呼ばれた。崇徳上皇の第1皇子重仁親王の乳母だったが,保元の乱(1156)では頼盛に重仁親王の敵方で義兄清盛のいる後白河天皇側につくよう助言し(『愚管抄』),政治的判断力をみせる。また,永暦1(1160)年2月,平治の乱(1159)で捕らえられた源頼朝の助命を清盛に嘆願し,伊豆流刑に減刑させたことは有名。<参考文献>角田文衛『王朝の明暗』

(櫻井陽子)

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世界大百科事典 第2版の解説

いけのぜんに【池禅尼】

平安時代末期の女性。生没年不詳。中流貴族である藤原宗兼の娘。平忠盛の後妻で家盛,頼盛の母。京都六波羅の池殿に住んでいたのでこのようによばれた。崇徳上皇の皇子重仁親王の乳母をつとめたが,保元の乱では上皇側の敗北を予見して頼盛に天皇方につくように助言し,また平治の乱では源頼朝の助命を清盛に申し入れて流罪にとどめるなど,忠盛なきあとの平家一族に大きな影響力をもった。【佐藤 圭】

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大辞林 第三版の解説

いけのぜんに【池禅尼】

平安末期の女性。平忠盛の後妻。藤原宗兼の娘。平家盛・頼盛の母。平治の乱で捕らえられた源頼朝の助命を請い命を救った。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

池禅尼
いけのぜんに

生没年不詳。平安後期の女性。父は少納言(しょうなごん)藤原宗兼(むねかね)。平忠盛(ただもり)の後妻となって修理大夫家盛(いえもり)、頼盛(よりもり)を生む。夫の死後は仏門に入る。平家の六波羅(ろくはら)館の一つ池殿(いけどの)に居住したところから池禅尼と称した。子の頼盛が池大納言とよばれるのもこれによる。平治(へいじ)の乱(1159)で捕らえられた源頼朝(よりとも)が、いまは亡き家盛に似ているところから助命を請い、この継母の意見を入れて平清盛は頼朝を伊豆に流した。池禅尼の一言が歴史を大きく変えたことになる。のちに頼朝は、頼盛を鎌倉に招いてその恩に報いた。[朧谷 寿]

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世界大百科事典内の池禅尼の言及

【平頼盛】より

…平安末~鎌倉初期の武将。平忠盛の子,母は池禅尼藤原宗子。平清盛の弟。…

※「池禅尼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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