デジタル大辞泉
「安嘉門院」の意味・読み・例文・類語
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出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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安嘉門院
あんかもんいん
(1209―1283)
後高倉(ごたかくら)院の皇女。名は邦子。母は中納言(ちゅうなごん)藤原基家(もといえ)の女(むすめ)北白河院陳子。1221年(承久3)同母弟の後堀河(ごほりかわ)天皇の准母として立后の宣下(せんげ)を受け、ついで1224年(元仁1)院号宣下を受け、安嘉門院と名のる。1235年(嘉禎1)出家。法名は正如覚。多数の所領からなる八条院領を後高倉院から譲り受け、それを亀山(かめやま)天皇に伝えた。これはやがて後醍醐(ごだいご)天皇に伝えられることになる。
[山本博也]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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安嘉門院 あんかもんいん
1209-1283 鎌倉時代,後高倉院の皇女。
承元(じょうげん)3年生まれ。母は北白河院。承久(じょうきゅう)3年内親王となり,同母弟の後堀河天皇の准母として皇后位につく。貞応(じょうおう)3年院号をうけ,文暦(ぶんりゃく)2年出家。父よりゆずられた八条院領は亀山天皇に,さらに後年後醍醐(ごだいご)天皇につたわる。弘安(こうあん)6年9月4日死去。75歳。名は邦子(ほうし)。法名は正如覚。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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安嘉門院
あんかもんいん
[生]承元3(1209).京都
[没]弘安6(1283).9.4. 京都
高倉天皇の皇子守貞親王 (後高倉院) の王女。諱は邦子,母は藤原陳子。承久3 (1221) 年,後堀河天皇の母儀に准じて立后宣下。皇后と尊称された。元仁1 (24) 年院号宣下。嘉禎1 (35) 年落飾,尼となり,正如覚と称した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の安嘉門院の言及
【八条院】より
…そのとき(1221)の目録によると荘園数はさらに増加し,庁分79,安楽寿院領48,歓喜光院領26,蓮華心院領15,智恵光院領5,真如院領10,弘誓院領8,禅林寺今熊野社領3,〈新御領〉2,〈京御領〉21,祈禱所4などとなっている(〈三宝院文書〉)。23年(貞応2)後高倉院は死の直前,その女安嘉門院邦子に八条院領のすべてを譲った。83年(弘安6)安嘉門院は死去,膨大な荘園は後堀河天皇の女室町院の手中に入ろうとした。…
※「安嘉門院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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