真鍋村(読み)まなべむら

日本歴史地名大系 「真鍋村」の解説

真鍋村
まなべむら

[現在地名]土浦市真鍋一―六丁目・東真鍋ひがしまなべ町・西真鍋にしまなべ

木田余きだまり村の西に位置し、南は土浦城下に接する。永禄七年(一五六四)正月頃の小田氏治味方地利覚書(上杉家文書)に「一、さたけの陣所 まなへのたい、つちうらきんへん」とある。江戸初期に土浦藩領となり、延宝八年(一六八〇)二月に土屋政直によって検地が行われた(「常州新治郡南庄土浦領真鍋村御検地帳」菊田節氏蔵)。享保一二年(一七二七)九月二七日の森沖新田開発之訳(岡田耕一氏蔵)に「真鍋村与平次方被仰付候間来る申春迄ニ開発普請仕百姓ヲ付御田地ニ可仕候」とあり、城主土屋陳直の資金援助を受けて埋立が行われ、真鍋宿通りに森沖もりおき新田ができた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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