土屋政直(読み)つちや・まさなお

朝日日本歴史人物事典 「土屋政直」の解説

土屋政直

没年享保7.11.16(1722.12.23)
生年:寛永18.2.5(1641.3.16)
江戸前期の大名。数直と水野忠貞の娘の子。延宝7(1679)年5月遺領を継ぎ,常陸国(茨城県)土浦藩4万5000石の藩主となる。雁の間詰め。天和2(1682)年2月駿河国(静岡県)田中藩4万5000石に転封。延宝7年9月から奏者番,貞享1(1684)年7月大坂城代になり在坂賄領として大坂周辺で2万石加増。4年10月老中となり,旧領常陸国土浦に転封,6万5000石を領する。将軍徳川綱吉・家宣・家継・吉宗の4代に仕え,享保3(1718)年3月まで31年にわたり老中の重職にあった。この間,元禄7(1694)年,正徳1(1711)年,享保3年にそれぞれ1万石加増され,9万5000石を領した。将軍綱吉に『大学』『中庸』を講ずるなど儒学造詣が深く,伊藤仁斎の弟進斎らを招いて藩学を振興した。家中に対し二十一カ条の条目を制定して綱紀粛正に努め,領内の産業育成のため醤油醸造業を保護している。

(泉正人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「土屋政直」の意味・わかりやすい解説

土屋政直 (つちやまさなお)
生没年:1641-1722(寛永18-享保7)

江戸中期の大名,老中。常陸土浦藩主土屋数直長男。1679年(延宝7)土浦4万5000石を相続し奏者番となる。82年(天和2)駿河田中へ移り,84年(貞享1)大坂城代となり2万石を加増され,翌年京都所司代へ転じた。87年老中へ進み土浦へ移った。その後,徳川家綱以下吉宗にいたる5代の老中として幕閣に重きをなし,加増を受け9万5000石となり土浦藩の基礎を築いた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土屋政直」の解説

土屋政直 つちや-まさなお

1641-1722 江戸時代前期-中期の大名。
寛永18年2月5日生まれ。土屋数直(かずなお)の長男。延宝7年常陸(ひたち)土浦藩主土屋家2代となる。天和(てんな)2年駿河(するが)田中へ転封。大坂城代,京都所司代などをつとめ,貞享(じょうきょう)4年老中にすすみ,ふたたび土浦藩主となった。享保(きょうほう)7年11月16日死去。82歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「土屋政直」の解説

土屋政直 (つちやまさなお)

生年月日:1641年2月5日
江戸時代前期;中期の大名
1722年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の土屋政直の言及

【土浦藩】より

…82年(天和2)松平信興が2万2000石で入封したが,84年(貞享1)より城郭の改修・拡張が図られ,土浦城がほぼ完成を見た。87年土屋政直が再入封したが,政直は加増を受け1718年(享保3)には9万5000石となった。その後,土屋氏は代々土浦に居城し明治維新にいたった。…

【土屋氏】より

…(1)相模国余綾(よろき)郡土屋を本領とする中世武家。桓武平氏の流れをくむ相模国西部の雄族中村氏の一族で,中村荘司宗平の三男宗遠(むねとお)が土屋を領して名字の地としたことにはじまる。宗遠は1180年(治承4)の源頼朝挙兵に子息らとともに参加し,敗走後再び勢力を増して平氏迎撃を企図する頼朝の命をうけて甲斐に下り,武田信義らの参軍を促すなどその活躍が知られる。しかし1209年(承元3)梶原家茂を殺害しようとして失敗,兵具召上げのうえ,和田義盛に預けの身となる。…

※「土屋政直」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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