茨城県南部にある市。1940年(昭和15)土浦、真鍋(まなべ)の2町が合併して市制施行。1948年(昭和23)都和(つわ)村と朝日村の一部、1954年(昭和29)上大津(かみおおつ)村、2006年(平成18)新治(にいはり)郡新治村をそれぞれ編入。霞ヶ浦(かすみがうら)に注ぐ桜川の三角州を中心に、沿岸低地と北側の新治台地、南側の筑波(つくば)・稲敷(いなしき)台地よりなる。JR常磐(じょうばん)線、国道6号、125号、354号が通じ、常磐自動車道の桜土浦(一部はつくば市)、土浦北両インターチェンジがある。市域は、古代には茨城(うばらき)国と筑波国とにまたがり、大化改新後成立した常陸(ひたち)国では茨城、筑波、信太(しだ)、河内(かっち)の4郡に属していた。中世には農漁業や交通も発達し、鎌倉時代に土浦郷(ごう)が生まれ、室町時代には土浦城、木田余(きだまり)城など多くの城館があった。近世は土浦藩土屋氏の城下町として、また、水戸街道の宿場町、霞ヶ浦水運の港町として栄え、町並みを整えた。1922年(大正11)に隣接の阿見(あみ)町に霞ヶ浦海軍航空隊が設置されて以来、軍都、商業都市として発展した。
県南の行政、経済の中心となり、市街地開発区域(土浦・阿見地区)に指定されている。工業ではポンプ、土木機械、電線などの機械・金属やコンクリート製品、食品などが盛大となり、県内では上位に並ぶ工業都市となった。農業では霞ヶ浦沿岸の蓮根(れんこん)生産は全国第1位とされる。グラジオラスなどの花卉(かき)栽培も盛ん。名産品にワカサギの加工品がある。水郷(すいごう)筑波国定公園と筑波研究学園都市の出入口を占め、東京の近郊住宅地でもある。国指定重要文化財に般若寺(はんにゃじ)、等覚寺(とうかくじ)の銅鐘、旧茨城県立土浦中学校本館、国指定史跡に上高津貝塚がある。面積122.89平方キロメートル、人口14万2074(2020)。
[櫻井明俊]
『『土浦市史 通史編・民俗編』(1975、1980・土浦市)』
茨城県南部の市。2006年2月旧土浦市が新治(にいはり)村を編入して成立した。人口14万3839(2010)。
土浦市中東部の旧市。1940年市制。人口13万5058(2005)。霞ヶ浦の土浦入に臨む桜川の沖積低地と周辺の台地を占める。中世には今泉氏,菅谷氏らが居城した地で,近世に入って土浦藩が置かれ,城下は中城・東崎両町に分けられた。水戸街道の宿駅でもあり,本町には2軒の本陣が置かれ,田宿町,大町などには旅籠(はたご)があって,大町では市も開かれた。霞ヶ浦に面した川口町には土浦河岸がつくられ,米や大豆などを江戸に運び,塩,酒,小間物などを帰り荷とする高瀬舟の出入りでにぎわった。また銚子,野田に先だってしょうゆ醸造業が発達した。土屋氏(9万5000石)が城主のとき明治維新をむかえ,一時土浦県,新治県の県庁が置かれた。茨城県編入後は県南の中心となった。桜川はたびたびはんらんしたが,1896年の日本鉄道(現,JR常磐線)の開通後は鉄道の築堤が水防の役割を果たしている。1920年隣接の阿見町に海軍航空隊が設置されてからは軍都の性格をもった。第2次大戦後市勢は衰退したが,82年常磐自動車道が開通し,現在は機械,セメントなどの工業団地の造成,土浦港の改修,大型小売店の進出などで内陸工業都市,商業都市として発展している。筑波研究学園都市の玄関でもあり,土浦城跡は亀城(きじよう)公園となっている。10月に開催される全国花火大会は日本三大花火として有名。
執筆者:中川 浩一+白川部 達夫
土浦市北西部の旧村。旧新治郡所属。人口9002(2005)。筑波山に続く山地と霞ヶ浦に注ぐ桜川の低地,両者に囲まれた台地からなる。江戸時代には灯心用のイグサの産地として知られた。低地では米作,台地では野菜,果樹の栽培が行われ,特に栗を多産する。筑波山麓では建設用石材が採掘される。国道125号線が通じる。室町時代初期創建の法雲寺がある。
執筆者:千葉 立也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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