矢ノ倉(読み)やのくら

日本歴史地名大系 「矢ノ倉」の解説

矢ノ倉
やのくら

[現在地名]中央区東日本橋ひがしにほんぼし一丁目

大川(隅田川)西岸両国広小路より南方薬研やげん堀を中心とする一帯の俗称。もともと「ヤノ」という地名をもっていたが、正保(一六四四―四八)幕府米蔵が建てられて以後矢ノ倉と称された(日本橋繁盛記)。沿革図書には「谷之御蔵」とあり、延宝(一六七三―八一)から貞享(一六八四―八八)頃まで、その範囲は北は横山よこやま町二―三丁目、西は横山同朋よこやまどうぼう町で、南は御材木蔵や武家地であった。貞享年中には南部に新道が付けられ、それに続いて大川に両国仮橋が架けられた。元禄一一年(一六九八)に米蔵は類焼し、翌年築地へ移転して跡地は米沢町一―三丁目や武家地に分割された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報