20世紀日本人名事典 「矢島せい子」の解説
矢島 せい子
ヤジマ セイコ
昭和期の障害者運動家 国民の足を守る中央会議会長;日本子どもを守る会副会長;元・障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会会長。
- 生年
- 明治36(1903)年4月6日
- 没年
- 昭和63(1988)年1月24日
- 出生地
- 東京・浅草
- 旧姓(旧名)
- 加藤
- 学歴〔年〕
- 日本女子大学師範家政学部〔大正10年〕中退
- 主な受賞名〔年〕
- ヘレンケラー賞〔昭和52年〕
- 経歴
- 独学で栃木県下の小学校代用教員となり、検定試験に合格して正教員となる。大正15年矢島祐利と結婚し専業主婦に。昭和16年夫と共に京城へ、20年敗戦で引揚げる。27年50歳を期して柳田國男に師事することを決意、女性民俗研究会に加入、“ゆびぬき”の調査などを行う。さらに28年以後、障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会会長の仕事に没頭。また日本子どもを守る会の副会長も兼ね、児童憲章の理想実現をライフワークとした。著書に「家事と雑用」、自伝「わたしの思い出」がある。没後、障害者運動への貢献を記念した“矢島せい子賞”が設けられた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報