矢掛陣屋跡(読み)やかげじんやあと

日本歴史地名大系 「矢掛陣屋跡」の解説

矢掛陣屋跡
やかげじんやあと

[現在地名]矢掛町矢掛

矢掛の北東部にある。当初、幕府代官所であったが、のち庭瀬藩(板倉氏)の陣屋となり、三成(みなり)陣屋とも称された。正保三年(一六四六)に備中倉敷代官所の出張所として長屋が設けられ、延宝元年(一六七三)に本格的な陣屋が築かれた(延宝八年「勤帳」石井文書)。同二年の備中国蔵入村々高帳(中山文書)によれば、矢掛組は高一万一千五八一石余、前掲勤帳では小田・後月(しつき)両郡二五ヵ村が同組に含まれた。天和三年(一六八三)には倉敷が庭瀬藩久世氏領となったため、以後備中代官の本拠となった(元禄二年「矢掛町仕置帳」石井文書など)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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