日本歴史地名大系 「矢橋湊」の解説
矢橋湊
やばせみなと
琵琶湖の南湖東岸に位置。「万葉集」巻七に「淡海のや矢橋の小竹を矢着かずてまことありえめや恋しきものを」の歌がある。
〔中世〕
「今昔物語集」巻一七には「箭橋ノ津ニ海人多ク有テ、魚ヲ捕テ商フ」とあり、一二世紀頃には漁労・商売の場として発展していたと推測される。同書巻二八には「三津ノ辺ニ白々ラト明ル程ニ行タレバ、船ハ兼テヨリ儲ケタリケレバ乗テ行ケルニ、矢馳ニ渡ル程、一時計ノ渡ナレバ、巳時許コソ津ニ渡リ着タリケル」とあり、坂本と結ばれていたことが知られる。文永五年(一二六八)八月に山田・矢橋の間で渡船の権利をめぐる渡相論が起こり、大津生得神人がこれに干渉して刃傷沙汰に及ぶ事件があった(華頂要略)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報