矢走村(読み)やばせむら

日本歴史地名大系 「矢走村」の解説

矢走村
やばせむら

[現在地名]大淀町大字矢走

岩壺いわつぼ村の東、矢走川上流の散村。元禄郷帳には「ヤバシリ」、「大和志」に「ヤハセ」と訓ずる。きた郷のうち。慶長郷帳では村高一九八・九八五石、うち一九〇・七五六石は江戸時代を通じて旗本中坊(左近)氏領、八・二二石は幕府領(代官中坊左近)の相給村。幕府領は元和五年(一六一九)以降郡山藩(松平忠明)領、のち二割半無地高増政策で一〇・三三六石となり、延宝七年(一六七九)以降再び幕府領となった。

「大和志」に矢走村に城山があると記すが、村内の愛宕あたご山を旧城跡という。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む