矢野酉雄(読み)ヤノ トリオ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「矢野酉雄」の解説

矢野 酉雄
ヤノ トリオ


肩書
参院議員(緑風会),教育公論社長,生長の家教育部長・編集部長

別名
号=孤山

生年月日
明治30年10月6日

出生地
福岡県

学歴
福岡師範〔大正6年〕卒

経歴
中大法科、日大高等師範科に学び、福岡県で小学校訓導。のち沖縄女子師範、福岡県立嘉穂中各教諭を経て、昭和8年講談社に入り評論活動。11年「生長の家」に入り教育部長兼編集部長、本部理事。22年辞職し、全国区から参院議員に当選、緑風会に属し、第3次吉田茂内閣の厚生政務次官。のち教育公論社長、矢野経済研究所会長を務めた。著書胎教と幼児教育」「日本を建設するもの」などがある。

没年月日
昭和38年11月20日

家族
妻=矢野 克子(詩人 徳田球一の妹)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「矢野酉雄」の解説

矢野 酉雄
ヤノ トリオ

昭和期の教育家,ジャーナリスト,政治家 生長の家教育部長・編集部長;参院議員(緑風会);教育公論社長。



生年
明治30(1897)年10月6日

没年
昭和38(1963)年11月20日

出生地
福岡県

別名
号=孤山

学歴〔年〕
福岡師範〔大正6年〕卒

経歴
中大法科、日大高等師範科に学び、福岡県で小学校訓導。のち沖縄女子師範、福岡県立嘉穂中各教諭を経て、昭和8年講談社に入り評論活動。11年「生長の家」に入り教育部長兼編集部長、本部理事。22年辞職し、全国区から参院議員に当選、緑風会に属し、第3次吉田茂内閣の厚生政務次官。のち教育公論社長、矢野経済研究所会長を務めた。著書に胎教と幼児教育」「日本を建設するもの」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「矢野酉雄」の解説

矢野酉雄 やの-とりお

1897-1963 昭和時代の教育評論家,政治家。
明治30年10月6日生まれ。教師をへて昭和8年講談社に入社。11年生長の家にうつり,教育部長兼編集部長をつとめる。22年参議院議員(緑風会)。のち教育公論社長,矢野経済研究所会長となった。昭和38年11月20日死去。66歳。福岡県出身。福岡師範卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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