20世紀日本人名事典 「石井謹吾」の解説 石井 謹吾イシイ キンゴ 明治・大正期の実業家 東印拓殖社長;衆院議員(政友会)。 生年明治10(1877)年10月 没年大正14(1925)年9月2日 出生地埼玉県新郷村 学歴〔年〕東京法学院(現・中央大学)〔明治28年〕卒 経歴司法官試補、内務属となり、奈良県参事官、滋賀県事務官、神奈川県港務部長を経て、秋田県内務部長、群馬県内務部長を歴任。米国で開催の幼年者保護万国会議に委員として参列した。また再度欧米各国を視察、南洋・インドなども数回視察した。のち弁護士を開業、多年に渡り業務に従事する。また東印拓殖社長、南洋興業社長を務めた。イタリア、オランダより勲章を授与。大正13年衆院議員(政友会)に当選1回。著書に「憲法俗論」「満鮮支那遊記」「欧亜港政資料」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石井謹吾」の解説 石井謹吾 いしい-きんご 1877-1925 明治-大正時代の実業家。明治10年10月生まれ。秋田県,群馬県の内務部長を歴任。のち弁護士を開業。東印拓殖,南洋興業の社長をつとめた。大正13年衆議院議員(政友会)。大正14年9月2日死去。49歳。埼玉県出身。東京法学院(現中央大)卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by