石光山古墳群(読み)せつこうざんこふんぐん

日本歴史地名大系 「石光山古墳群」の解説

石光山古墳群
せつこうざんこふんぐん

[現在地名]御所市大字元町

もと町西北部の独立丘陵にある群集墳。地元ではイシコウヤマ(伊勢講か)とよんでいる。

昭和四七年(一九七二)八月、土地開発に伴う事前調査として、二次にわたり、総数五二基の古墳が調査された。そのうち前方後円墳および前方後方墳であったものと推定されるものが七基、方墳および台形のもの二基、他は円墳である。主体部構造、あるいは副葬品についてもかなり多種多様である。築造年代は第一期から第七期に分類され、築造期間は五世紀後半から七世紀に至るものと推定されている。

出土遺物は各古墳によって異なるが、なかでも多数のミニアチュアの鉄鎌・鉄斧・鋤先・刀子のあったのが注目される。

〔刊行後の調査の進展〕

中核になる七基の前方後円墳について、昭和四七年(一九七二)・四九年の調査成果を参考に記述する。

石光山一号墳は南西向きの前方後円墳。全長二四メートル、後円部径一五メートル。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報