石光真臣(読み)イシミツ マオミ

20世紀日本人名事典 「石光真臣」の解説

石光 真臣
イシミツ マオミ

明治〜昭和期の陸軍中将



生年
明治3年5月(1870年)

没年
昭和12(1937)年12月8日

出生地
肥後国(熊本県)

学歴〔年〕
陸士(第1期)卒,陸大〔明治33年〕卒

経歴
陸士卒後砲兵少尉、陸大卒後参謀本部付、明治34年砲兵少佐・野砲第15連隊大隊長、35年参謀本部員、36年台湾・基隆要塞参謀となり諜報活動従事。以後野砲第10連隊大隊長、旅順要塞参謀長、下関要塞参謀、野砲第8連隊長などを経て、44年第10師団参謀長。大正2年参謀本部課長、5年支那駐屯軍司令官、憲兵司令官、馬政局長官、8年中将、11年第1師団長、14年予備役。中学校以上の学生軍事教練発案者。のち明倫会、国本社などの愛国運動に尽力

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石光真臣」の解説

石光真臣 いしみつ-まおみ

1870-1937 明治-大正時代軍人
明治3年5月9日生まれ。石光真清(まきよ)の弟。明治38年日露戦争の際,旅順要塞(ようさい)参謀長となる。大正4年参謀本部欧米課長,5年支那駐屯軍司令官。憲兵司令官をへて,11年第一師団長。中将。中国通,また軍事教練の発案者として知られた。昭和12年12月8日死去。68歳。肥後(熊本県)出身。陸軍大学校卒。名は「まつおみ」ともよむ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の石光真臣の言及

【石光真清】より

…失意の帰国後は貧苦と念仏三昧の晩年だった。陸軍中将石光真臣(1870‐1937)はその弟。自伝(遺稿)四部作(《城下の人》《曠野の花》《望郷の歌》《誰のために》)は,明治国家の裏面を数奇に生き抜いた著者が,類のない無私の眼で時代を記録した傑作である。…

※「石光真臣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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