陸軍軍人,軍事諜報員。熊本城下に生まれ,神風連の乱,西南の役での敗残の美質の人々,戦火に翻弄され苦しむ人々を身近に目撃。1883年陸軍幼年学校に入り橘周太(日露戦争時の〈軍神〉)に兄事。89年士官学校卒。近衛師団勤務後,日清戦争で中尉として台湾に出征。96年憂国の念からロシア研究に志し,参謀本部次長田村怡与造の了解のもと99年休職してシベリアへ私費渡航。ブラゴベシチェンスクで語学研修を名目にロシア軍人の家庭などに寄寓,馬賊の妻となっている日本人娼婦らと交友しつつ義和団の動乱下で諜報活動。さらに任務のため,軍籍を離脱してハルビンで苦力(クーリー),洗濯夫,ロシア軍の御用写真館などを営み,馬賊の副頭目にまでなってシベリアの広野を駆けめぐる。日露開戦で召還され,第2軍司令部付副官として出征。少佐に進んだが戦後は軍に戻るべき場所なく,一時世田谷村三等郵便局長として平穏な生活に入る。1917年関東都督府から再び諜報勤務命令をうけ,ロシア革命の動乱の渦中に飛びこむが,その命がけの体験にもとづく献策も,シベリア出兵軍司令官の大井成元中将に〈君は一体誰のために働いとるんだ,ロシアのためか〉と一蹴される。失意の帰国後は貧苦と念仏三昧の晩年だった。陸軍中将石光真臣(1870-1937)はその弟。自伝(遺稿)四部作(《城下の人》《曠野の花》《望郷の歌》《誰のために》)は,明治国家の裏面を数奇に生き抜いた著者が,類のない無私の眼で時代を記録した傑作である。
執筆者:岡部 牧夫
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明治〜昭和期の陸軍少佐,諜報活動家
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