石名村(読み)いしなむら

日本歴史地名大系 「石名村」の解説

石名村
いしなむら

[現在地名]相川町石名

南は大塚(おおつか)川を挟んで小野見(おのみ)村、北は赤崎(あかさき)浜を境に小田(こだ)村。東は大佐渡山地の尾根で和木(わき)村・馬首(うまくび)村(現両津市)と接する。西の海は冬は北西の季節風が強く海上は荒れるが、村域北端は赤(あか)島・黒(くろ)島・大(おお)島などが点在する岩礁地帯で、若布・海苔・アワビ・サザエなど海産物が豊富である。集落は段丘崖下の低地に海岸に沿って連なる。背後の段丘は近世前期に新田開発が進められ、村の中央を流れる石名川以北の低地とともに水田地帯。草分は土屋佐次右衛門といわれる。佐次右衛門家は通称南(みなみ)とよばれ、天文二一年(一五五二)の創立と伝える観音堂を再興し、元禄期(一六八八―一七〇四)の名主である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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